川越の歌 - SINGカワゴエ

未来をつなぐ街川越(作詞: 今井 れい / 作曲: 小林 範子)

作詞者の今井れいさんとは、100 周年記念事業”描こう「川越 未来図」”を通じて出会いました。
今井さんは何十年も地域の文化芸術活動を支えてきた方で、今井さんの周りには地域の人々がいつも集まっています。「先人たちが歩いてきた道を、私たちが未来に向かってまた今歩いていく」という詩には、川越で生きてきて、これからも生きてゆく共感を強く感じ、この曲が生まれました。

Mr. スイートポテト(絵: 山田 英次 / 作詞・作曲: 小林 範子)

井上浩先生のさつまいも愛に刺激されてできた曲です。さつま芋が日本に来たのは江戸時代。薩摩の飢饉を救い、その後江戸の人々の間で焼き芋ブームが巻き起こり、その後、川越といえばさつまいもというような名産地となり、さらに現在の川越では素敵なスイーツもたくさん生まれています。そんなさつまいもを讃える歌です。川越を、全国を、ベニあかをはじめとする、さつまいもの歌で盛り上げたいと思います。

喜多院~Kitain Temple~(作詞・作曲: 小林 範子)

830年に慈覚大師によって建てられたものの火事で焼け、中世には尊海僧正、その後、天海僧正によって喜多院が再建されたことを歌にしました。 名前も無量寿寺から北院、そして喜多院へと代わりましたが、「ロンドン橋」の歌のように楽しい遊び歌にしました。 喜多院の再建や新河岸川舟運の起こやら、五百羅漢やら、喜多院の歴史を歌で、しかも英語で覚える楽しい歌になりました。

九十川(作詞: 柿沼 宏 / 作曲: 小林 範子)

南古谷を流れる九十川(くじゅうがわ)は、新河岸川にそそいでいますが、水源は伊佐沼となっています。 九十川のいわれは、伊佐沼から新河岸川までの間が、九十も曲がりくねっていたことからだそうです。 昔は川越電気鉄道が九十川を横断していて、昭和初期にかけての約30年間、川越と大宮の間を走っていました。 小さな川なのですが、とても美しい曲になりました。

河童の伊勢まいり(作詞: 柿沼 宏 / 作曲: 小林 範子)

川越の伝説からです。名細(なぐわし)の小畔(こあぜ)川の小次郎と、川島伊草の袈裟坊(けさぼう)と、坂戸の小沼のかじ坊という三匹のいたずら好きの河童が、仲良くお伊勢まいりに出かけました。 旅人になりすました三匹の河童は宿場で豪遊し、あまりにも金づかいが荒いので、店の主人たちがあやしみ、お金をよくしらべてみますと、それはタニシのフタだったというお話です。 そうして、河童ということもばれてしまったのだそう!川越市伊勢原町の御伊勢塚公園に河童モニュメントがあります。

仙芳仙人~Hermit Sempo~(作詞・作曲: 小林 範子)

昔々、仙波の地は湖でした。そこに仙芳仙人がやってきて、湖の主、龍神に教えられた通りに袈裟を湖にひろげ、仏像を投げ入れると湖は消え、仙波の土地が広がりました。龍神のすむ小さな弁天池を残して。仏教を仙波の地にも広めたという円仁(慈覚大師)や建立された喜多院の話にもつながるような伝説です。

よりみち八幡民部いなり(作詞: 寺島 悦恩 / 作曲: 小林 範子)

「川越素麺」にある梵心山民部稲荷の老狐物語からです。 夜な夜なふらふらと、西の山の民部様のところに出かける小坊主しんぼちを案じ、和尚さんは民部様とお供たちをお寺に招待、美味しい食べ物とお酒でもてなすことにしました。 相撲をとった翌朝、土俵に残るキラキラ光る動物の毛から民部様たちは狐とバレてしまい、川越の梵心山の去っていきました。 小坊主しんぼちがお別れの挨拶に行くと、お礼にうずたかい砂金の山。 これが民部稲荷様のはじまりで、丸広と川越八幡神社に祀られ、相撲稲荷とも言われています。

川・時・人(作詞: 細野 敦子 / 作曲: 小林 範子)

作詞者の細野敦子さんの詩とも、100周年記念事業”描こう「川越未来図」”を通じて、出会いました。 細野さんは、3年前より詩を書き始め、今回初めて作詞に挑戦。 川越氷川神社の近くの「Gallery USHIN(ウシン)」のオーナーでもあります。

川越の歌(作詞: 石藤 桂子 / 作曲: 小林 範子)

作詞者の石藤桂子さんの詩とは、100 周年記念事業”描こう「川越 未来図」”を通じて出会いました。
川越の春夏秋冬をうたう素敵な詩に、自然に曲ができました。この出会いに心より感謝しています。

雪塚いなりさん(作詞: 柿沼 宏 / 作曲: 小林 範子)

昔、ある大雪の夜、川越の南町(今の幸町)の通りに一ぴきの白狐があらわれ、これを見つけた若ものたちが棒を手にもって追いかけ、棒で打ち殺してしまいました。
それから白狐を打った者たちは疫病にかかり、深夜大きな火の玉が各家を襲うなど、白狐のたたりと町中の人々は恐れました。
そこで、近くの長喜院の境内に社をたて、白狐の霊を祀り、町内の氏神としました。
そうしたところ、疫病も火の玉もなくなり、その後、商売繁盛に霊験あらたかといわれ、遠方より参詣する人がたえないそうです。
思えば、その長喜院にある幼稚園に通っていた私は、今さらながら、深いご縁を感じました。